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新英語教育研究会神奈川支部HP

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ルター、学校に行く(共学編32~42)

2003-9-4  ルター、学校に行く(その32):Phrasal Verbs(句動詞)について
 高1の会話の授業用handout(配布プリント)のdraft(下書き)作成していた。SH先生にチェックしていただいたところ、そこでpick out ~「~を選ぶ」と書くべきところをpick up~と書いてしまい、「間違っているわよー」と指摘された。おお、恥ずかしい。辞書引いておけばよかった。
 こういうPhrasal Verbs(句動詞)は、日常的に英語を使ったことがないので身に付いていない。それゆえに生徒に二の轍を踏ませたくないので授業でも扱いたいと思っている。

2003-9-23  ルター、学校に行く(その33):高1の最後の授業
 この4月に週15時間からスタートした講師生活。中1の3時間(1×3クラス)は7月まで。高1の6時間(2×3クラス)は9月末まで、というかんじで病欠だったが回復された先生に順次引き渡している。高3の6時間は最後まで担当させてもらうことが決まっており、昨日は高1の最後の授業。
 そこで2つ話した。1つめは「3ヶ月は聞き手に徹してほしい」ということ。4月から話し続けてきたからこそ、私のことばは少し通じるようになったわけであり、新しい人の言葉はやはり3ヶ月ぐらい経たないとわからないものである。私自身、出版社、塾、学校と職場を変えてきて、同じ日本語でも3ヶ月は通じなかった。初めの3ヶ月は、よかれと思って言ったことが空回りしてしまうのである。これは塾で5年半、新人研修を担当してきて、よく分かった。だからみんなには「いきなり分からない、と思うのではなく、聞き手に徹してほしい」と言っておきたかったのだ。
 2つめは「防災の話」。今朝のフジテレビに出演されたが「八ヶ岳南麓天文台 (VHF電波による地震予報観測) 地震前兆観測センター」http://epio.jpinfo.ne.jp/の台長の串田嘉男さんによる、地震予知の話をした。そして災害ダイヤル「171-1-自宅番号」で録音、「171-2-自宅番号」で再生できる話をした。また寝ている頭の上にはタンスやテレビなどが来ないようにしておいたり、家族と災害時にどうするか話し合うように伝えた。私自身が災害ダイヤル171を知ったのは一昨日のテレビ朝日の番組であり、寝床に「靴」などを用意し、懐中電灯の電池を買ったのは昨日のことである。こうしていて思うのは阪神淡路の震災の教訓がまったく私に生かされていなかったことだ。
 そこで思ったのは広島長崎の原爆、沖縄戦の悲しみなどなど、数々の悲しみも生かされないようではダメなんだということだ。
 教育の現場にいて、たくさんの人の前で話す権限がある者として、やはり伝えたなくてはいけないことってある、と自覚した一日だった。
 今後も正確な地震予知の情報を追い続けていこうと思っている。

2003-9-26    ルター、学校に行く(その34):中1現代国語の試験監督で
 スパルタ教師で豪快で生徒に人気のあるU先生のテスト。第一問目で度肝を抜かれた。中1で夏休みの宿題が「シェークスピアの作品を2つよみこと(英語でもよい)」というもの。そして試験では10作品の題名とセリフが並んでおり、任意の2つを結びつけよ、というもの。私がわかったのは『ハムレット』とギルデンスターンという名前だけだった。
 二問目は教科書からの出題のようだったが緻密な発問に感心した。終戦間近の日本で弟を亡くしたお兄ちゃんとおかあさんのやりとりを描いた文章。お母さんは着物を農家に売って野菜を得ていた。「そのような生活を~生活という。カタカナ4語で答えよ」。答えはタケノコ生活。生徒の答案を見回ると、コウカン生活と書いている子もいる。「当時のバスの燃料は?」 答えは「木炭」。亡くなった弟に綿に水を含ませて飲ませたが「これは何というか? 」答えは「死に水」。このように当時の生活や日本人として知っておきたい知識を問うもので、感心した。見回っていてショックだったのは「看取る、とは何の際に言うことか?」という問いの答えは「臨終」だと思うのに、一人も書いた生徒が居なかったことだ。出来る子でも「死別」「死亡」。書いてある生徒でも「病気」「けが」。やはり生徒達がいかに先生の話を聞けていないかがわかった。だからこそのテストだと思う。テストを通じて、もう一度確認する。大切なことだな、と感じた。

2003-10-3    ルター、学校に行く(その35):前期末テストで
 高3のボーナス問題として「行ってみたい地名+理由(そこでしたいことなど)について英文を書いてください。最高で5点まで加算します。」という出題をした。
 以下の英文を書いた生徒は中間テストでは100点を英語2とライティングで出した、たいへん優れた女生徒である。天王星に行きたいとは! なぜなのかなと思ったら、学校で卒業研究のテーマでこの生徒が「星の見え方」をテーマに選んでいることがわかった。なるほど納得。頭の中は宇宙空間でいっぱいなのだろう。すてきだなあ。
 添削した英文:I would like to go to Pluto, the 9th planet of our solar system. As the most distant planet from the Sun, Pluto is mysterious and attractive for me. There I would be able to see the big shape of Caron rising from the horizon. Caron is a moon (satellite) of Pluto and is half the size of the planet. To see such a big moon rising would be quite impressive.
(本人の英文:I would like to go to Pluto, the 9th planet of our solar system. As the most distant planet from the Sun, Pluto is mysterious and attractive for me. There I will be able to see the big shape of Caron rising from the horizon. Caron is the moon of Pluto and is half size of Pluto. To see such a big moon rising must be quite impressive.)

2003-10-3    ルター、学校に行く(その36):前期末テストでショック
こんな出題を高3の生徒にした。
【部分英作文】日本語に合うように英文を完成させよう。(2点×3)
Which man is Paul Smith? ミ Paul is the one ( ).
(例) ポールは赤い上着の人です。
Paul is the one in a red jacket
(a) ポールは黒い帽子をかぶっている人です。
(b) ポールはメガネをかけている人です。
(c) ポールは目の青い人です。
すると、Paul is the one with a black hat on.や
Paul is the one with glasses. / Paul is the one wearing glasses.を期待していたのに、
Paul is the one on a brack hut.や
Paul is the one in a grasses.という答えがたくさんあり、愕然とした。
 black(黒い)がbrack(?)に、hat(帽子)がhut(小屋)になっている。
glasses(メガネ)がgrass(芝生)に、複数形glasses(メガネ)にaをつけている。「目の青い人」もwith a blue eyesと書いている生徒が数名いた。
 高校3年生で5年間英語を履修してきて、こういうことを書くのは生徒だけが悪いのだろうか? 私は教える側の在り方も同時に問われていると思う。
発音しながら書かせていないからではないだろうか。
 後期の授業は工夫したいと思う。

ルター、学校に行く(その37):「愛とは何か?」 11月5日(水)
 お気に入りのスヌーピーの絵本『Love is walking hand in hand.』を高3の授業で取り上げた。「あなたの考えるLove isノ」を書いて出してもらった。
 「愛とは自分が『その人といて幸せだ』という言葉を遠回しに気づかないように伝え合うことである」と書いてくれた男の子がいた。
 密やかな愛を上手に表している。すてきだなあ、
 「じゃ、先生の定義は?」と訊かれたので(モレシャンさんも言っていたが)『愛とは言葉である』と話した。言葉なくしては愛はない。西洋的な愛とはそういうものであり、日本人の得意とする情の世界とは異なる。そんな話をしたら感想文で「もっと愛の授業をしてください」と3名ぐらい書いてくれた。
 みんなにとっても楽しい授業になったようである。

ルター、学校に行く(その38):「譲歩とは説得だ!」 11月12日(水)
 今日は高3で副詞句と副詞節を取り上げた。譲歩に関してわかってもらいたかったので、ルターとサムくんの架空対話をプリンで配った。みんなわかったかなあ。
■対話篇:「副詞/副詞節/副詞句を考える」
ルター: 副詞という枠で見る場合、副詞句、副詞節という言い方があります。まず副詞節から考えてみましょう。副詞節とは言い換えると「接続詞を用いており、文の従属節で、副詞的な機能を果たすもの」のことです。
サムくん: 副詞節といえば、英語の参考書見ると項目がたくさんあったなー。条件とか譲歩とか。
ルター: そうですね。以下にどの参考書にもある副詞の6項目と代表的な接続詞をあげてみましょう。
サムくん: (表を見て…)ふーん。こんなにあるのか。
ルター: ではここでクイズです。サムくん、「譲歩」ってどういう意味でしょうか?
サムくん: 「譲歩」には「譲る」っていう字が入っているし、よく「最終的に譲歩した」なんて言うのは、交渉するときに相手に譲るっていうことですね。遠慮深い感じがしますね。
ルター: 遠慮深いというのは、一面としては正しいですが、それだけの理解では「譲歩」の本質がまだつかめていません。
サムくん: むむむ、どういうことですか?
ルター: こう覚えてください。「譲歩とは、説得だ!」と。
サムくん: 「譲歩とは、説得だ!」 で、いいんでしょうか。
ルター: その通り。「押してダメなら引いてみろ」と言いますね。猪突猛進だけでは物事はうまく行きません。そこで譲歩を活用して、相手を説得するのです。
ところでサムくん、好きな人はいますか?
サムくん: 唐突になんですか、あせっちゃうなー。一応いますけど、内緒です。
ルター: なるほど、で、その子に告白するとき、次の3つだと、どれで言いますか?
 (1)「君のことが好きだ」
 (2)「僕のこと、好きじゃないかもしれないけど、君のことが好きだ」
 (3)「どうしても君のことが好きだ」
サムくん: 僕って、奥ゆかしいからなー。2番かな。でも3番も切実な感じでいいな。
ルター: (ルター先生、苦笑)。サムくん、君もなかなか策略家だね。
サムくん: えっ、どこがですか。
ルター: ははは、冗談だよ。?と?では「譲歩」を使っていて、それを敢えて選んだから「策略家」って言ったのさ。でもこういう状況だったら、人間ならだれでも相手に受け入れてもらいたいから作戦を練ったり、真剣に話すよね。まさにこういうときこそ、「譲歩」の用法が登場するんだ。「譲歩とは説得だ!」そして「恋愛には説得が不可欠だ!」
サムくん: 先生、脱線しないでください。ところでどこに譲歩が使ってあるんですか?
ルター: はいはい。では英文で(2)を確認しよう。
 I like you, even if you donユt like me. (Swan)
(たとえ僕を好きでないとしても、君が好き)
サムくん: いやー、慎み深く、遠慮深いな、僕って。
ルター: 果たしてそうかな? 
 《譲歩》 説得の手法
(a) Even if ...「たとえ…でも」と、相手の言いそうなことを先取りする(=相手に納得してもらいたい)。
(b) It is true..., but...「確かに…だが、…」と、相手の言っていることを認める姿勢を示して置いてから、反撃する。
(c) Whatなど + on earth「一体全体」やanyway「いずれにしろ」「兎に角」(とにかく)などの決まり文句を使うと、相手は説得されてしまう。
(d) 主観的な意見を「~だ!」を言うとき、1文だけで述べると説得力に欠ける。しかし2文で言うと説得力がある。
・客観的事実をthough「~だけれども」と足すと、相手は納得してしまう。
・極端に範囲を区切ってunless「~なら別だけど」と言うと、相手は説得される。
サムくん: あれー、もしかして僕は「相手の言いそうなことを先取り」して「相手に納得してもらいたい」っていうこと?
ルター: そうなんだ。でもいいじゃないか。彼女を説得したいということは、彼女に対してそれだけ思いがあるということなんだから。
サムくん: そうなんです…(しんみり)。


ルター、学校に行く(その39):sinceについて 11月18日(火)
 becauseとasとsinceは理由「~ので」だと一括されて教えられることが多いようだが、この3つは質が違う。
 Because:出来事、因果関係
 As :状況説明、人や物の状態
 そしてsinceはnow thatといっしょにして覚えると良い。
譲歩:「~なんだから」(聞き手が分かっている周知の事実を引き合いに出して説得)
●【now that】「今や~なんだから」
 【since】「(すでに)~なんだから」
□ Now (that) John’s arrived, we can begin. (L2)
ジョンが来たんだから、始められるよ。
□ Since you can’t answer the question, perhaps we’d better ask someone else. (L2)
君が答えられないんだから、他の人に尋ねた方がよさそうだ。
□ Since youユre on your feet, hand me the tin of peaches, will you? (C1)
立って居るのだから、モモの缶詰取ってよ。
 井上陽水でJust Fitという歌があり、「いいのよ ずっとこのまま ふたりは ジャストフィットなんだから」という譲歩(=説得)のフレーズがある。まさに英語にするならsince「~なんだから」を使うといい。
 余談:ま、世の中そう簡単にはできていませんね。

ルター、学校に行く(その40):overcomeといえば… 11月26日(水)
 高3の授業でPhrasal Verbsの入試問題を扱っていたら、get over ~「~を克服する」という表現が出てきた。「~を克服する」といえば、overcome。Overcomeといえば、「We shall overcome.」。
 ということで、今日はピート・シーガーの歌うWe shall overcome.のCDをかけて、解説した。(Seven Daffodilsの歌を授業の始めに使ったら、同じCDに入っていた)
1960年代アメリカの公民権運動のなかで歌われたこの歌。
 We will overcome someday.という歌詞を
 We shall overcome someday.と替えて歌うようになった。それはなぜか?
 人間の意志willで「克服しよう」というのではなく、
 必然・当然のshallで「克服するのが当然の流れだ」と言い切ってしまう。
そこに妙味がある。望んでいることが実現しそうにない苦しい状況であるからこそ、コトバの上で当然起こることだとすることで、現実を逆転させていく。そうやって人々は現実を動かしてきた。その実例がこのwillからshallへの転換にある。
 イメージトレーニングの重要性がいわれているように、imagineできることが実現するのだ。そして公民運動は結実した。
 私は沖縄から基地がなくなる日を願っている。元気がないとimagineできないのだけれど、くじけず何度も心の中で思い描きたい。
感想を書く
Re:ルター、学校に行く(その40):over(11/26) Yukikoさん(****.ne.jp)
こんにちは
shallは神の意思、willは人の意思、というのが究極の説明、と私は思います。ただ、これが日本ではぴんとこないみたいですけど。 (11月26日17時42分)
返事を書く

神を持たない人にとっては sasuke20021851さん(****.ne.jp)
「shallは神の意思、willは人の意思」は納得です。
授業でもそのように解説しました。
神を持たない人にとっては自然や運命ということかと思います。 (11月27日9時33分)

2003-12-17 ルター、学校に行く(その41):今日は最後の授業+5つのお話
 ご好評をいただいている(?)「ルター、学校に行く」はもうすぐ最終話に突入する。なぜなら今日が最後の授業だったのだ。病気でお休みされていた先生のピンチヒッターとしてスタートした4月。3時間×5日=週15時間を受け持ち、6月には危うし、でしたが、みなさんに支えられ、夏休みに突入。お休みされていた先生が復活、9月から12時間、10月から6時間と徐々に減り、そして高3の最後の授業で終了。Thank you all!
 社会人として私が経験してきたなかで知ったこと、それを「5つの話」としてこれから社会人になるみんなに送った。明日以降5回でまとめる。
 「5つの話」の1と2は主に塾で4年間マネージャーをしていたときにたたき込まれた。私のいた英語塾はワンマン社長+マネージャー(当時は私1人)+スタッフ数名、という構成で私が「ハイリスク・ノーリターン(危険度高く、見返り少ない)」の中間管理職。アメリカンスタイルでビジネスウーマンを養成し、バリバリ働かせるぞと考えている社長と学生アルバイトの延長線上で「個人指導だから楽かな?」と応募してくるスタッフとのギャップはあまりに広くそして深い。それを新人トレーニングを1日で仕上げろというのだから途方に暮れてしまいそうだったが、幸い優れた先輩のお陰でマニュアルがあった。そこに私なりの味付けをしてどうにかやった。「教えることは学ぶこと」というのは誠にその通りで、新人トレーニングを通じて私自身が養成されていったと言っても過言ではない。
 電話の応対ができずしどろもどろだった私が主体的に電話を取り、交渉できるようになったのは社長がよく言っていた「無形財産」が私に身に付いたからなのだと思う。感謝している。
 HPを読んでくれている高3のみなさん。早い時期によい上司に巡り会ってバシバシ鍛えてもらおう!

2003-12-18 ルター、学校に行く(その42ミ1):高3のみなさんに送る「5つの話」その1
 その1は「金銭の授受がある場合、その場で封筒を開けて金額を確認しあう」(「あらためさせていただきます」「確かにありました」と軽く声をかければよい)+「(高額な場合や心配な場合には特に)領収書をもらうor一筆書いてもらう」

 私が勤めた塾では給与は銀行振り込みではなく「手渡し」。社長からスタッフ分はマネージャーである私に、そして私からスタッフへ渡される。封筒のなかには細長い給与明細があり、その末尾の額と現金を数えさせて確認させる。そして額があっているかどうかお互いに確認し合う。社長曰く「1円多くても少なくても気持ち悪い、それを避けるため」。
 このようなビジネスに徹した習慣はいいことだと思った。教育の場にいる教員はあまりお金が好きでない方も多く、封筒の中をあらためたりしない。しかし中身が多くても少なくても気持ち悪いはずである。この習慣があるからこそ、給与の授与に関しては、スタッフも安心して働けるし、社長も毎月くだらないことに心を砕かなくてすむ。「封筒を開けてみたら千円少ないです」なんて後から言い出すスタッフはいないのだ。社長側に数え間違いがあれば、渡す段階でチェックできるのだから。「なぜ毎回数えるのかな。面倒くさい」と思うスタッフもいたと思うが、自分が働いて得た額が実感できるし、金銭の授受ではその場で確かめる習慣が付くし、教育効果満点で、いい習慣だったと思う。そして社長は「Pay(給与)受け取りました。ありがとうございました」とスタッフに言わせるように、とマネージャーには言い渡していた。そこが社長の「ワンマン」「お父さんらしい」ところでもあるのだが、それもまたよかったのかな、と思う。そういうのが不満なら貴様が起業してみろ、と私でさえ思ってしまうほど、「ろくな働きもしないのに給与はもらって当然」というスタッフもいたからなあ。起業家はたいへんですよ。育て上げたスタッフがすぐ辞めてしまう。がっかりです。私もせっかくトレーニングしたスタッフが2~3ヶ月で何人も辞めていったので「鬼がやってきて崩してしまうのにもめげず、賽の河原に石を積む子ども」のように悲しい気持ちだった。(あ、ぼやきが長かったかな、すまんすまん)
 人間には勘違いが付きものなのだ。私の聞いた話では歯医者さんに数十万を渡したのに領収書をもらわなかったがために「渡した渡さない」騒動になってしまった人がいる。そうなると困るからこそ「領収書」のシステムがあるのだ。お金に関してはトラブルのないようにしましょう。これが社会人になるにあたって一番大事だと思って最初に話したことです。

2003-12-19 ルター、学校に行く(その42ミ2):高3のみなさんに送る「5つの話」その2
  その2は「はい、わかりました」+「一点、質問がございます」

 言わんとしているのは、まず聞く姿勢を確立することだ。社会人になって新しい集団に入ったら「3ヶ月は聞き役に徹すること」が肝要だ。というのは同じ日本語だとしても通じないことがある。特に善意あふれる人は要注意だ。外から来た新参者はそのシステムの中で不合理なところに目がいって、善意があふれるあまり「はい、わかりました」と言う以前に「これはこうした方がいいと思う」と言ってしまいがちだ。しかしそのシステム全体が見えていない段階なので、わざと残してある不合理かも知れないのに、受け止める以前に突っぱねる。そういう姿勢は上司からすると、聞く姿勢がないと映ってしまう。まずは聞き手に徹する。そういう人に上司は仕事を教えたいと思うのだ。組織においてはひとりで仕事はできない。
 こんな例で考えてみよう。そばのキャビネットの扉が開いていた。そこに上司が通りかかって、「キミ、閉めなきゃダメじゃないか」と言ったとする。そこで2通りの答えのうち、あなたはどちらを選ぶだろうか。「(開けたのは)私ではありません」と言う。それとも「すみません」と言って、サッと扉を閉める。
 前者のように、扉を閉めておかなかったのが自分ではないとしても気がつかずに閉めておかなかった自分の至らなさにも気づかず、くだらないことなのに自分の非ではないとはっきりさせて全体の流れを損なうというのはビジネスセンスがない。後者のように、ビジネスセンスのある人はそんなくだらないことは気にしない。そういうところで、仕事に対する姿勢というのは見えてくる。社会人にもなって、そんなことがわからないのでは話しにならない。
 しかしながら、イエスマンになれ、というのではない。批判精神はいつでも持っていなくてはならない。くだらないところで自己主張は必要ない、ということだ。まず「はいわかりました」と受け止めて、それから「質問があります」あるいは「~ということでしょうか」と確認していく。そのよい循環を作ってほしい。
 英語科に来て質問していた、数名の生徒を見ていて、不安になった。きちんと聞く姿勢をもって話をしてほしいと傍から見て感じた。これがみんなに伝えたかったことの2つ目です。
 

2003-12-20 ルター、学校に行く(その42ミ3):高3のみなさんに送る「5つの話」その3
  その3は「環境を整えること」=社会はみんなでつくるもの

 私が高3の教室でショックだったのは1時間目の授業の教室で必ずと言っていいほど、遅刻してくる生徒の机を見ると、掃除の後の状態のまま、イスが逆さまになって机の上においてあり、それが3~5脚あるのに、みんな平気で座っていることだった。遅刻してくる生徒ももちろん悪い。しかしそれよりも平気で座っている他の生徒の方が恐ろしいと私は思った。
 私が中学高校のころ、クラスにステキな子がいた。その子がいれば、履き散らかされたスリッパや靴もきれいに並べられたし、黒板を消し忘れてあったら、日直でなくても消していた。そのことであって以降は、私はその子だったらこうするだろうな、と思い続けて現在に至る。だからゴミがあれば拾うし、スリッパだって揃える。そしてそのたびに「あの子なら意識せずにするのだろうなー」と思い、意識的にしかできない自分を悲しく思って、ちょっとため息をつくのだ。今もその友人達とは交流がある。今も変わらぬ、すばらしい人達だ。
 ところがどうしたことだろう。高3の教室でだれもイスを下ろそうとしないではないか。私が下ろし始めてもいっしょにやろうともしない。これだけはあきれてものが言えなかった(とはいいながら、実際は何回か言及したが)。環境は自分で整えるものだよ。授業や組織や社会はみんなでつくるものだよ。それを覚えていてほしい。
 英語の学習以前の問題だ。目の前にイスが逆さまになっていても平気という感性。こわいよ。私は部屋はちらかして平気な方だ。しかしそれは自分の空間だからだ。公共の空間はみんなでつくるものだ。
 村上春樹さんがオウム真理教による地下鉄サリン事件の被害にあった方のインタビューをした『アンダーグラウンド』のなかで、地下鉄職員の方がオウム真理教の事件は突発的でないと感じていたと言っている。それは地下鉄で駅の掃除をしているそのわきでガムを噛んで捨てても平気な人がいたりする日常の中で社会が崩れていく萌芽を感じていたのだという。その話を読んで、私は職業倫理を持って働いている方々がつらい思いをする社会というのは悲しすぎると思った。
 そういう悲しい思いをこれ以上させたくないと思って教育の現場に自分も関わっているつもりなのだが、現実は厳しかった。正直、高3のみなさんには申し訳ないが、私は30代の同世代のステキな友人がいて幸せだと思う。そういう友人達とめぐり逢い、同時代を過ごせたこと。対比的に分かるのは悲しいことだけれど、私は自分は幸せだと分かったよ。
 高3の皆さん、まずは自分からだよ。私の真意を汲み取って、同世代のステキな友人を見つけて、その人をモデルにして、至らない自分を悲しみつつも、恥ずかしくない自分になれるように頑張ってほしい。そしていつの日か自分がそのステキな友人になっていけるようになってほしい。そうやって社会をつくってほしい。これが3番目にお話ししたことです。

2003-12-21 ルター、学校に行く(その42ミ4):高3のみなさんに送る「5つの話」その4
  その4は「防災について」=地震について

 これは10月末に高1にも高3にも話した。
 防災がしっかりできていなければ、関西の震災での教訓が生かされていないことになる。震災で亡くなった人の思いを無にしてはいけない。私はいつもそう思っている。原爆で亡くなった人や戦争で亡くなった人。いろいろな人が不本意に亡くなっている。その人たちのことを忘れないでその人達の思いを今にいかすのは今を生きる人の義務だと私は信じている。

 有益な情報としては、串田さんが台長を勤める八ヶ岳南麓天文台(VHF電波による地震予報観測)による地震予知がある。地震前兆観測センター公開実験参加者一部による観測応援班 「EPIO応援班」 http://epio.jpinfo.ne.jp/
を参照してほしい。

同時に家族で避難場所を打ち合わせたり、家での防災について話し合うことも忘れずに。
 ・寝床にはスリッパや靴を置く(ガラス片を踏まぬように)
 ・寝床の頭の所にテレビやタンスが来ないようにする
 ・災害ダイヤルは「171+1+自宅の電話番号」を回すと録音できる。「171+2+自宅の電話番号」で伝言再生。

 非常用に用意するといいもの
 ・3日間分の水を確保。
 ・サランラップ:皿を洗わなくていいようにサランラップを皿に敷いて使うと良い。
 ・大きなゴミ用ビニール:水をもらうときに便利

 自分がケガしなければ、他の人を助けられるのだ。まずは自分を大切に。自分を大切にすることが他の人を助けることにつながる。

2003-12-23 ルター、学校に行く(その42ミ5):高3のみなさんに送る「5つの話」その5
  その5は「物語を知る」=聞くことの大切さ
 説明文の蔓延する英語教育界。若いみんなにはもっと物語を知ってほしい。授業で扱えたのはWilliam Saroyan , Papa, You Are Crazyウィリアム・サローアン/伊丹十三訳「パパ・ユーア・クレイジー」(新潮文庫/講談社英語文庫)だ。こういう平易な文体をたくさん読めばきっと中学高校生に必要な読解力はつくだろうに。
私の言うところの「ガタガタしていない文体」をもつ物語文をこれからどんどん発掘したい。
 ・抽象から具体への流れがある
 ・カメラアイがしっかりあってイメージが描きやすい(映像を観ているかんじ)
 ・既知から未知へという情報がスムーズに流れる

 私の上の世代はO. Henryの短編『聖者の贈り物』『最後の一葉』やOscar Wildeの『幸福な王子』『A Selfish Giant』などを必ず知っていた。その余波がある私の世代はまだまだいろいろな物語に触れられた。私たち30代後半の人の心にはたくさんの物語がある。アンデルセン『雪の女王』(知らない人が多いようで残念!)やグリム童話もある。アニメ作品もたくさんある。ハイジに小公女、小公子、キャンディキャンディ、銀河鉄道999、ルパン3世など、きりがないくらい。この幸せを年下のみなさんにわけてあげたい。もちろん共有している物語が世代間で違うのは仕方ない。しかしながら、これは知っておいて欲しいという物語は語り継がないといけないのではないか。高3の教室に置かれていたフィギュアのなかに『アルプスの少女ハイジ』があった。高3のみんなはキャラクターは知っていても物語をしらないのではなかろうか? さびしいことだ。
 余談だが、私の好きなスピッツの草野マサムネの歌はさまざまな物語にinspireされたものだというのが同世代の私には手に取るようにわかる。(思いこみかも知れないけれど、当たっていると思いますよ)
 ・『チェリー』:「悪魔の振りして切り裂いた歌」はアンデルセン『雪の女王』の悪魔のガラスのかけらのイメージ
 ・『遙か』:「丘の上に立って」は、キャンディキャンディの丘の上の王子様のイメージ

 まずは聞く態度が必要だ。年長者が「この人に話しておきたい」と思わせるところが聞き手になければ「話しても無駄だ」と口をつぐんでしまう。そして訊く(質問する)には観点が必要だ。知らなければ訊く観点が育たない。その一方で情報洪水が押し寄せているので若者が耳をふさぎたくなる気持ちはわかる。村上春樹さんは『ねじまき鳥クロニクル』のなかで「良いニュースは小さな声で語られる」という章を設けている。だからこそ、大きな声に惑わされずに、耳を傾けなければならない。
●『原爆の子』(岩波文庫)は(心身の体調の良いときに)いつか読んでほしい。美しい日本語、家族を思う心がこんな形で保存されているというのは本当に切ないことである。謙譲語「おられる」の正しい使い方ができている当時の高校生。人々とともに美しいことばを使おうという気風が失われた。悲しすぎる。
●2002-10-21の日記でも紹介したが、知らないと損してしまう物語がある。英語圏一辺倒ではなく、中国やフランス文化にもふれてほしい。
 浅田次郎『蒼穹の昴』下巻にあるエピソード。1840年アヘン戦争で負けて、1842年南京条約で香港島割譲。1860年北京条約で九龍割譲、1998年新界、島嶼が租借地になった。その際、永久借款しようというイギリスに対し、永遠の意味の「久久」(jiu jiu)という単位の数字はないから、同じ音の九九(jiu jiu)年の借款にしようと中国の李鴻章は提案し、決めてしまった[ちなみに99はちゃんと「きゅうじゅうく」と読むならjiu shi jiuとなる]。99年も先のこと、還ってくると誰が予想しただろうか。そしてその通りになって香港は1997年7月に中国に復帰した。この歴史を動した、中国的ダジャレ(?)を知って、正直ビックリした。中国4000年の歴史。いつでも先を見ている。今の日本に100年先が見えているか? 刹那的になっていないか。物語をもっと知ろう。


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